「小林多喜二全集」編纂過程と貴司山治  関連論文紹介 資料館topに戻る

 小林多喜二全集は戦後、新日本出版社から発刊された手塚英孝編纂による「全集」「定本全集」がほぼ完成版として広く認知されています。しかし、1933年の多喜二の死後ここに至る間には、戦前に二回、戦後に一回、全集の刊行がなされています。そしてその、企画編纂の経緯は必ずしも明らかではありませんでした。
 ところが、「貴司山治日記」が刊行され、その日記や周辺の関連資料に、この経緯に関わる多くの記載があることがわかってきました。
 結論として、戦前二回の全集編纂刊行は、ほとんど貴司山治の手でなされていること、そして戦後早期の、その後の全集の底本となった「新日本文学会版」の編纂事業の初期にも貴司は深く関わりながら、ある時期から離れていったことが明らかになってきました。 この経過を調査した三つの拙論をご
紹介します。いずれも既発表の論文で、NET上のリンクによって閲読可能です。

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                                伊藤 純
 

小林多喜二全集の編纂過程〔戦前編〕
              ──貴司山治資料などからの検討
     占領開拓期文化研究会機関誌『フェンスレス』創刊号 2013/3/20刊
      http://senryokaitakuki.com/fenceless001/fenceless001_03ito.pdf 本文
      http://senryokaitakuki.com/fenceless001.html 目次

小林多喜二の死と貴司山治
     ──貴司を出所とする「党生活者校正刷」(小樽文学館所蔵)をめぐって 
           徳島県立文学書道館紀要『水脈』第九号 2010年刊

「小林多喜二全集の編纂過程 <戦後篇>
              ──「貴司山治日記」にみるその表裏」    
   立命館大学国際言語文化研究所紀要『言語文化研究』23巻3号 2012/2/23刊    
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/lcs/kiyou/pdf_23-3/RitsIILCS_23.3pp.67-84ITO.pdf 本文
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/lcs/kiyou/23-3.htm  目次